まみずハルカの文章

まみずハルカが綴るエッセイポエム小説日常詩〜

私と所属

 

時間とともに、周りが同類の者になっていくという話は聞いたことがある。小さい頃よりも、どんどんコアになっていく。よく周りにいる5人の平均が自分と言われる。が、これは子供にはあてはまりにくいと思う。性格や家庭環境が違えど、仲良くなる可能性があるからだ。私の小学校低学年の頃の親友たちは、私と進路が全く違う。専門学校に行ったり、インスタグラマーになったり様々だ。その親友たちとも次第に連絡が途絶え、会うことはなくなった。つまり、会う人は自分に似た境遇の人が大半なのである。その現状に反発しようと、似た人種がいないアルバイトを選んだり、別の環境に飛び込むのだがやはり見えない壁を感じる。自分がその壁を作っているのか周りが一線を引いているのかはわからない。ここは、私の居場所ではないと直感的に思うのだ。

 

そこで、自分の所属に戻り周りを見渡してみる。この中の五人の平均が自分なのか。そう思うと、反発心が渦巻いた。表面的な自分は確かに、ここの五人の平均かもしれない。だけど、私にはまだ人に見せていない自分がある。もっと複雑なんだ。だれもが、人に見せる部分と自分だけしか知らない部分の両面を兼ね備えている。しかし、それにしても表面の自分と中身の自分が乖離しすぎているように思えてならない。いくらでも、人に合わせられるし人を楽しませることができる。ただ、自分が楽しいかどうかは別問題だ。我慢グセがついているのだろうか。中身と外見が一致した時、最も自然になれるはずだ。こんなことも考えなくて済むし、感情の赴くままに行動できるのだろうか。さずがに、完全一致は動物ではあるまいし社会で生きていくためには自分を制することが必要だ。ただ、制しすぎるといきている感覚が薄まって自分のことでさえ他人事に思えてしまう事態に陥る。そうは、なりたくない。

 

ヒッピーになりたい。お金や名誉がなくても生きたいように生きたい。でも、それを制限するのは周りの見えぬ圧力と自分だ。膨大なエネルギーを使って多大なリスクを冒さなければ、成立しない。人生一度きりなんてわかってる。時は金なりなんてわかってる。それでも、人の目を気にしてしまう。そんなことをやっている人は私の周りでは一人もいない。探しても探しても、見つからない。今の段階で全ての過去を払拭する自信がない。人は損することが嫌いだが、世間体を重ねるとやはり損な選択だとレッテルを貼られる。これを貼られると急に自分に自信がなくなり、実際に損をしているという錯覚に囚われるのだ。